手製本とビンテージ

lacoiffe (コワフ) Blog

2019/08/21 22:47


この時期に広島県に呼ばれたのは何か意味があったりする・・・?
と、思わせる事がありました。

TVでは原爆や戦争の番組が多く放送されました。
ホテルに戻り、そんな番組を見続けていてたら、沈んだ補給船の映像が映されました。
祖父は補給船に乗り、南の海で戦死したと聞いていたことを思い出しました。
そして、幼い日の母の家族の記憶の場所は「呉」でした。

催事終了の翌日、呉に向かいました。
「200階段」(「海猿」の撮影地)を上り、呉の港を見ました。
200階段の周辺はかって海軍の住居があったという場所で、
母の記憶の「お店がたくさん並んでいた」という商店街でないか、という場所もありました。

その後、何十年ぶりかに祖父の墓にお参りに行きました。
墓石には祖父の乗った船の名前が刻まれていました。
呉の大和ミュージアムではいたたまれずにあっという間に出てしまったのですが、
その時に知っていれば、祖父の乗った船の模型だけでもがんばって見たのに、と・・・
祖父は、補給船ではなく戦艦や航空母艦に乗っていたのでした。

この事をどう受け止めればよいのか、わかりません。
母の家族は祖父の死後、大変な苦労をしたと聞いています。

だれも幸せにはなれない戦争という大きなモノを、
改めて考えさせられています。